緑の光線、その後

あらら

気がついたらひと月以上も日記書いてないのね

暑い暑いとひいひい言ってる間にも時は過ぎ、もうバカンスも終わり…

ちょっと前にアルザス地方の知人の家に数日お世話になり、

その時のことはまたあらためて書きたいのだけれど


先ほど中庭に面したキッチンの窓辺でひとり煙草をふかしていたら、

空から紙切れがふわりふわり、実に優雅に舞っていました

久しぶりにこんな絵を見たなと、ぼんやり紙切れの行方を追っていると、

不意に神戸の何でもないひとコマを思い出し…

時はさかのぼること鹿児島での10代、

エリック・ロメールの「緑の光線」が好きで、いつかわたしもその光線を見たいものだと、

当時、いろんな人にこの映画の話をしていたように思います。

(そういえば「緑の光線」も紛れもないバカンス映画だった)

中でもジャズ喫茶のバイトで一緒だったM兄さんとの会話は何となく忘れられない

いつもぼうっとしていて、なんだか生きる気力に欠けているような感じで

あの頃、まだ彼も大学生(あるいは卒業していたのだったか)だったはずなのに

ひと足早く老後を生きているような感じのひとでした

太陽が水平線に沈む、その最後の瞬間、ごく稀に緑の光線が放たれる

その光線を見たら幸せになれるんだって―わたしが映画の主題を説明すると、

めずらしくM兄さんがにやりと笑い、いいなぁそれ、という

でもね、太陽が水平線に沈むのがまずは第一条件だからここらの海じゃ無理よ、というと

そうかぁ、じゃあ探して旅しようかなぁ、その光線

バイク乗りだったM兄さんが日本中、いえ世界中を緑の光線を求めバイクで旅する姿、

誰もいない夕暮れの砂浜にひとり座り込み、じっと日没を見守るM兄さんの姿が

ちょっと物悲しいような、けれど不思議にあたたかい絵となって

わたしの脳裏にくっきりと浮かびました

ねえいいよ、それ。職業は? 緑の光線を探して歩く旅人です、っての!

ああ、いいねぇ。ほらMっていただろ? あいつ今何してる? あいつなら今頃、

エジプトかどこかでいまだに緑の光線探してるよ、なんて―


映画の中にもうひとつ、好きな逸話がありました

いつもああじゃない、こうじゃないとぐずぐず拗ねては場をしらけさせ、

身動きできずにいる女主人公

彼女が街を歩くたび、なぜか道端でトランプのカードを拾うのです

それがパリの街並みと相まってなんとも可愛らしく、

でも現実には道を歩いていてトランプ拾うことなんてまずないよなぁ…

などと、憧れたものです

それから十数年―、

あの日、おそらく誰かと待ち合わせていたのだと思います

いつもならあまり寄り付かないざわざわした神戸の飲み屋街を歩いていると…

街はもううっすら夕焼け色に染まり、

仕事上がりの人々

これから店を開けようという人々

何かを焼く匂い、灯りだした看板―と賑やかな活気に包まれていました

目的地に向かってなだらかな坂道をひとり歩いていたそのとき、

なぜか行きかう人々がわたしの前で左右に分かれ、

目の前にぽっかりちいさな空間があきました

なんとなく足元に目を下ろすと、トランプのカードが一枚

思わす拾い上げた瞬間には人の波はまたもとに戻り、

カードを手にぼんやり佇むわたしの横を

緑のジャケットを着た金髪の外国人女性が通り過ぎてゆきました

「カード拾ったんだね、わたしも拾うことある」

そう片言の日本語で微笑みながら

物語はここでおしまいです

何のオチもありません

もちろん、カードを拾ったわたしは静かな興奮にかられ、

その後何人かのひとにカードの話、緑の光線の逸話を語りました

確か拾ったのはハートの4だったような

ハートの4自体に何かしらメッセージがあるのでは、と

ネットでググってみたりもしたのですが、明確な意味も見つけられないまま

しばらくは大事に保管していたけれど、

神戸を引き払うときにもそんなカードは出てこなかったから、

さぁ、どこへいったのやら。

中庭をひらひら舞う紙切れが、そんな些細な思い出のいくつかをそっと蘇らせたのです

懐かしいM兄さんとの会話まで。

ああ、M兄さん、あれからどうしているだろう

連絡先なんて交換もしなかったから、

今彼がどこでどんな風に暮らしているのか見当もつきません

あの頃はまだうんと若くて、

いつでもまたあのジャズ喫茶のドアを開けさえすれば、

彼にも会えるような気がしていたけれど―

映画とジャズが大好きだった店主のNさんは数年前、

わたしがこちらに嫁いで間もなく天に召されました

かわいがってもらったのに、もう長いことお会いしていなかった

悔やまれます

あらためて実にたくさんのひとにやさしさや理解、愛情を分けてもらいながら

きちんとお礼もいえぬまま、不義理を通したままにここまで歩いてきたんだなぁ

それでも甘ったれたわたしは、折につけ彼らを思い出し、懐かしむ気持ちは

めぐりめぐってきっと何らかの形で彼らに届くはず―、そう信じています

わたしが誰かを懐かしむように、わたしのうかがい知らないところでまた

誰かがわたしのことを思ってくれている

世界中に誰かの思いがふわりふわり

届けられるのを待つ手紙のように漂っている

今でも振り返ると、すべてがつい昨日のことのようで、

ちょっと飛行機に乗って帰りさえすれば、

あの頃のみんながあの頃のまま、照明を落とした薄暗いジャズのかかる店で

静かにグラスを傾けているような気がするのです

M兄さん、今でも緑の光線、探していますか

それとももう、あなたの光線を見つけたの?


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