ふたたび、自由の使い方について思うこと
お久しぶりでございます
あっという間に11月が到来し、2020年も残りわずかとなったところで
ふたたびの外出禁止令。
とはいえ、今回は学校は普通に開いているし、前回より表に人通りがちらほら目立つし…
2回目とあって、どうしても慣れが生じてくる部分もあるけれど、
実際に多くの方がいのちを落とされているのは目の覆いようのない事実なのだから、
守るべきことを守り、少しでも感染を封じ込めていきたいものです
この間、フランスでは痛ましい事件が相次いで起こり、
特に教員殺害の事件に関しては個人的に多々考えさせられます
〈表現の自由〉は絶対に守らねばならない権利であるけれど、その使い道は本当に難しい
必要とあらば恐れることなくNOといおう!というフランスの批判精神には
個人的に共感する点も多いのだけれど、
同時に、こと学校という教育の場、いろんな背景を持つ子供たちが集まるような場所では
〈表現の自由〉について考える、そのアプローチにも、
もっと慎重な姿勢が取られるべきじゃないかと、わたし個人はどうしても思ってしまう
もちろん、いかなる理由があっても暴力は絶対に許されない
ただ今回の事件を考えるとき、〈表現の自由〉ということばが独り歩きして、
その取扱いに関しては充分な議論がなされていないような気がして
(わたしが知らないだけかもしれないが)、ずっとこのテーマが頭をちらついています
ひとりひとりが個人の思想を表現するのは自由
だけど受け取る相手によっては(たとえ表現者やそれを引用する人にその意図はなくとも)、
表現されたものがいたく暴力的に感じられる場合もある
(個人レベルのつきあいでも、気をつけたいところ)
民族や文化、宗教が入り混じり、複雑化した社会においてはなおのこと配慮が必要で、
だからといって、相手の反応を恐れるあまり、
意見を交わすことさえままならない環境なんて不健全極まりない
もちろん、時と場合によるけれど、デリケートなテーマだから議論そのものを避けようという
消極的姿勢にはわたしは賛同できないし、
〈表現の不自由〉を前提に保たれる共存なんてひどく脆いものだと思う
多角的な視点、考え方を養い、相互理解を深めるためには〈表現の自由〉が絶対的に必要で、
けれど、使い方をあやまれば、その〈表現の自由〉がさらなる分断を生じさせてしまうこともある
絶対にあってはならない事件が生じてしまった今、一度立ち止まって
〈表現の自由〉の意味について再考したい、
いろんな人の意見を聞いてみたい、そう思う今日この頃です
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