変化をもたらすものたち

「なくしてみて初めてその価値に気づいたりするものです」

 友人と喧嘩してしまった13歳の頃、見かねた先輩が手紙に書いてくれたことばだ。何がきっかけで喧嘩になったのかもう覚えてはいないけれど、とにかくわたしは友人に腹を立て頑固になっていたのだし、そんなわたしに先輩のことばが届くわけがなかった。くっついたり離れたりなんてわたしたちの年頃にはよくあることで、何よりプライベートなことなんだ。先輩―といってもひとつ年上なだけだけれどーのことばはちょっと芝居がかっているし(演劇部で新聞部だから仕方ないか)、例のごとくなんだか中年くさい。「なくしてからようやく気づくなんて、しょせんその程度のものだったってこと」わたしは自分の都合のいいように解釈し、うそぶいた。その後またなにかのきっかけで友人とはあっさり仲直りしたのだが、卒業してからは音信も途絶え、彼女が、あるいは先輩が今どこでどんな風に暮らしているのかわからない。たぶんふたりともお母さんになっているのだろう。

 外出禁止も3週間目に入った。健康、好きなときに好きなところへ行ける自由、刻々と移り変わる季節や空の色、肌の上に直接感じる陽光、風。街のざわめき、労働のあとのくつろぎ、誰かと集まるよろこび、楽しみ。おろしたてのタオルみたいにやわらかくわたしを包んでいたそれらの価値を、家の中でしみじみ反芻してみる。それらは消えてなくなったわけでも、制限されるまで見過ごされていたわけでもないけれど「待て」といわれ、あらためて正当な評価を得るものだって確かにある。たとえば毎晩20時の拍手がそうだ。アパルトマンの窓がちらほら開き、患者さん、医療従事者、この期間に働いてくれているすべての人々を応援しよう、みんなで連帯してこの危機を乗り越えよう、そんなメッセージを込めて拍手が起こる。それまで顔も知らなかった住人達と「また明日ね」「みんなにキスを!」と手を振り合うなんて、今までなかったことだ。故障したエレベーターに一緒に閉じ込められれば、どんな人とでも共感しあえる—そんな話を聞いたことがあるけれど、きっと今のわたしたちがそうなんだろう。一方でこのささやかな共感の輪にすら入れない、取りこぼされてしまう社会的弱者がいるのもまた哀しき事実。コロナを機に世界の価値観が変わるなんていう声も聞くけれど、もしそうなら連帯がその中心に据えられることを願わずにいられない。大事なのは一時的な共感より、エレベーターを無事脱出したあと、この経験をどう生かすかなのだから。

 外出禁止のあいだ、なにかできることはないかなと考えて独居老人へ電話をするプログラムに参加した。今日話したのは81歳になるおばあちゃま。天気の話や家に閉じこもるしんどさについて話しあい、何かあったらいつでも連絡くださいねと告げると

「ねぇあなた、映画には行く?」

「ええ、行きますよ」

「わたし、長いこと行ってないの…」

「あら。じゃあ外出禁止が明けたらご一緒しましょうか」

「うれしいわ!」

 窓の向こうには春の陽射し。ああ、そうだった。わたしたちは自分の手で世界を変えることだってできるのだ。それはごくごくささやかな、変化とすら呼べない行為かもしれないけれど、こうであったらいいなと思える世界にそれぞれのやり方で近づくことはできる。危機が終息し、あたらしい価値観が試される日、おばあちゃまと一緒に映画に行ける日を静かに待ちたい。



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