17歳のわたしへ

あの頃はまだ映画館も入れ替え制ではなくて、見ようと思えば一枚の券で何度でも同じ映画が見られた。『シェルタリング・スカイ』もそうやって2回連続で見た映画のひとつ。

画面いっぱいに映し出された妖しい夜のタンジェ、輝くサハラ。倦怠期カップルの哀しい愛と、生き残った妻の数奇な旅が坂本龍一のメランコリックな音楽に乗せ、ドラマティックに描かれる。

上海の租界とか、映画『カサブランカ』もそうだけれど、戦中戦後のモロッコとか、異国の地でひと時花開き、やがて色褪せていった西洋コミュニティみたいなものにわたしはなぜかめっぽう弱い。享楽的なムードの中に薄く引き伸ばされた諦めや、故国への郷愁がゆらゆら漂っているような…。

映画『シェルタリング・スカイ』にはラスト、原作者のポール・ボウルズが登場し、こうつぶやく。

” 人は生きている間に幾度、月を仰ぎ見ることだろう。そうしてその時のことを、どれほど覚えていることだろう…”

うろ覚えだけれど、確かそんな台詞。
もちろん、シビれた。当時のわたしは映画や本や音楽、アートの中の〝めくるめく〟人生に憧れ、ため息ついては自分に言い聞かせた。あと、もう少し。ここではないどこかへ辿り着いたら、その時こそめくるめく日々、わたしの本当の人生が始まるんだ…!と。

果たして17歳のわたしは〈いつかソウル・メイトと共にモロッコへ行く!〉と誓い、これから出会うだろうわたしにとってのあまたの月、人生における神秘的でうつくしい瞬間、その場所にいたときのことを可能な限り、忘れないようにしよう…そう心に決めたのだ。


時は流れ、おおよそ30年後のパリ。

今日、わたしはソウルメイトと暮らしている。条件はそろった。そろそろ計画を実行に移そう…そんな折、Rちゃんがモロッコを旅し、彼女のUPするうつくしい写真にいよいよ期待は高まって―。

ある夜、

「ミオ、3月末、南仏の実家へ帰省するから10日くらい休み取れる?」とローラン。南仏帰省は恒例なので「同僚たちにスケジュール組みなおしてもらうのも大変だからさぁ、1週間でいい?」「あ、うん、わかった…」

そうしてあっという間に2月も半ば、バレンタインデー。

帰宅したローランから、バレンタインの贈り物だよとちいさな紙包みを手渡された。

あら、うれしい。なあに…?

がさごそ紙包みを開くと、うん? マラケシュのガイドブック…!!?

「え…?!」

「3月末、南仏帰省は嘘だよ。行くのはマラケシュ、ミオが行きたがってたモロッコだよ」

しばし、ことばを失う…

「3月は気候がいいらしいから…」

と、極度に暑さに弱いローラン。夏は絶対、僕には無理だから。

ああ、ローラン! なんて素敵な演出!!

ええ、もちろん17歳のときの『シェルタリング・スカイ』の誓いについては話してあった。どちらかというと整然とした国を好むローラン、わたしが誘わなければ絶対にモロッコなんて行かないのはよくよく承知してたから、こちらから計画立てて強引に引っ張ってくつもりだったのに…。

一度涙がこぼれたら、あとからあとから止まらくなって、ローランまで動揺してる。

「よろこんでくれるだろうとは思ったけど…、まさか、こんな。泣くのはやめてよ。なんだかこっちまでしんみりしちゃうじゃないか」

だって、この瞬間も間違いなく〈月〉だからだ。思わず顔を上げ、ことばもなく見惚れてしまうくらい、うつくしい〈月〉だからだ。


17歳、映画館を出て、頭はいまだモロッコの砂漠を彷徨ってる夢見心地のわたしを待ち伏せ、

『ソウルメイトと行くんなら、モロッコ行はあと28年待たなきゃね』

そう告げたら…きっと彼女は失神するだろう。

あるいは28年後の自分に掴みかかり、つめ寄ってこう聞くのかもしれない

『ちょっと冗談でしょ? いったい、何がどうなってるの。わたし、そんなに待てないから!!』

どう、どう。45歳のわたしは涼しい顔で17のわたしをなだめる。

あのね、マドモワゼル。

なんでも早けりゃいいってもんじゃない。〝待つ〟という一見消極的な行為にも、しみじみ味わい深いよろこびがあるものよ。ただし、この場合の〝待つ〟はあたためるってことよ。ちいさな願いや憧れを大切に抱き続ける、世話をするってことよ。

それに今のあなたには気に入らないでしょうけど、叶うか叶わないかは結局のところ、それほど大事じゃない。28年後のあなたが涙を流してモロッコ行きをよろこんだとしたら、それはとうとう旅立てるから、だけじゃない。涙はもっと違うところからやって来る。28年間、17歳の自分の願いをずっと大事にしまってこれた、そのことにすごくすごく感謝してるからよ。そうして、その願いが思わぬ形で、想像していたよりずっと素敵な形で実現された時にはもう、叶っても叶わなくてもどちらでもいいくらい、たくさんのうつくしい〈月〉を見つけてこれた、そう理解したからよ。

そうして最後に付けくわえておきましょう。

次に10日間休暇を取れといわれたら、つべこべいわず、なにがなんでも絶対に10日間、意地でも確保すること!!

1コメント

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  • 日々の音

    2020.02.16 22:15

    素敵すぎるーーーー。 なんて、素敵な“月”かしらん。