『Joker』

 長く風邪をこじらせたり、南仏のお義父さんを訪ねたり…で、気がつけばあっという間に11月!!本当に一年早いなぁ…。

 フランスは只今2週連続で週末、週明けに祝日が重なり、なんだか気分は一足早いバカンスモード。12月までこのまま、めくるめく早さで過ぎていくんだろうな。

 昨日、映画『Joker』を観てきました。物心ついた頃から、私の行きつけはいつもちいさな単館系。ぱらぱら数えるほどの観客しか入らないちいさな小屋で悠々と中央より少し後列の真ん中の席を陣取り、荷物は隣の席にどかっと置いて思うさま物語にのめり込む…ことに慣れてるから、恐らく200席?くらいはあろうかというホールがほぼ満席になる映画鑑賞なんてあまり縁がない。やっぱり大人気なのね、この映画。

 そもそも『Joker』は他の映画を観に来た時に予告編ではじめて知り、もともとホアキン・フェニックス好きな上に、画面のざらりとした風合いと色合い、はたまたJokerに変身してからの目の覚めるようなホアキンの高揚感に簡単にノックアウトされ、絶対見よう!!と思っていたのだ。え~なんだなんだ、知らなかったよ!と帰宅して慌ててネットで検索すると、ヴェネツィア映画祭でも受賞、今、大注目の作品ということで、あまり読んだらあかん…と思いつつ、ホアキンのインタビュー記事なんか梯子してしまい…。

 というわけで、個人的にあまりに前期待が大きかったために、一映画作品として『期待を上回る』ことすらなかったものの、やっぱりホアキンは良かった。ホアキンの演技を見るための映画、かな。いちばん脂の乗ってる頃にああいう役に出会えるなんて、ほんと役者冥利に尽きるだろうな、自分と役が今まさに一体化しているような奇妙な憑依感覚をきっとこの画面の中のホアキンはビシバシ感じていたんだろうな…などと、時折ふと映画から乖離してそんなことを思っちゃうくらい、ある意味、ホアキンという役者のドキュメンタリーみたい。アイススケートの荒川静香さんが金メダルを取った時、『滑っている最中、これが自分の現役最高の演技になるだろうと感じていた』みたいなことを話していて、一流は違うなぁとつくづく思ったのをちょっと思い出した。

 ただ同じホアキンでも映画としては『ザ・マスター』の方が私は好きだったかな。こちらは同じく好きだった役者フィリップ・シーモアと共演してて、『Joker』がホアキンのひとり舞台なら、『ザ・マスター』はホアキン×シーモア、ふたりの名優の競演。ちなみにふたりとも本作品でヴェネツィアで受賞。シーモアもいい役者だったのになぁ。惜しいなぁ。46歳で薬で逝っちゃうなんて…。同じく若くして薬で夭折したホアキン兄リバー、シーモア、彼らは今どんな思いで天国からホアキンの『Joker』を観てるのだろう…。

 映画館の帰り道、小腹も空いたしどこかに寄って帰ろうか…ということで、折角だからちょっと歩いてインド人街まで行こう!と提案したは良いけれど、あまり治安のよろしくない地域につき、あんな映画のあとだと何となく怖かった。無事おいしいインディアン料理にありつき、膨れたお腹を揺すりメトロ駅に行くと、まだ十代と思しき黒ずくめの少年が改札に向かって『黙れ!この野郎!』と捲くし立てていて、ふたたび映画の中に迷い込んだような錯覚に。日本でも社会格差や子供の貧困が叫ばれて久しいけれど、こちらにいる方が断然『不都合な現実』に出くわしてしまう確率が高い。

 映画『Joker』の怖いのは主人公アーサーの物語をたどるうち、例えば日本でもよく起こる突発的通り魔殺人に至る当事者の心理が何となく想像できてしまうところだ。潜在的とはいえ、そんな思いを抱かずにいられない境遇にある人はきっとこの社会のいたるところ、案外すぐ隣にいるのかもしれない…そう感じつつも、ひとたび映画が終われば何も見なかったことにしてまたすんなり日常に戻ってしまう、この映画の本当に怖いところは、そんな私たちの冷めた『無関心』を静かに炙り出してくるところなのかもしれない。

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