メラファを纏ったフェミニスト

 まだ蒸し暑い8月の最中、移民局の研修を受けに行ってきた。

 ビザ切り替えにあたり、フランスの社会事情を都合4日間にわたってざっと網羅するという、この研修。行ってみるとその日集まったのはほぼアフリカ系、30名くらいのクラスにアジア人は私の他にフィリピンの青年ひとりだけ、あとは東欧系がちらほら。ぎゅう詰めの教室の最後列のさらに端っこの席に腰を下ろした。講師はナイジェリア出身の先生で、授業はフランスにおける基本的人権、労働環境での権利や決まり事から始まった。私と同じ最後列には全身ベールに身を包んだおばさまがいて、彼女が実によく喋る。講師が口を開く度、「そうそう、実にその通り!」とか、一々合いの手を入れるのである。

講師:「フランスには信仰の自由があります。ただし、信仰というのはごく個人的なもので、他人が無暗に介入したり、公の場で声を大にして語る類のものではない、というのがこの国での信仰の捉え方です。」

おばさま:「ウィ、ウィ、ウィ! 信仰とは本来そのようにあるべきものです!!」

 こんな調子で講師のあとには必ずおばさまの解釈やコメントが差し込まれる。途中、誰かが医療システムについて質問すれば「そういう時はね、まずは救急病院に駆け込んだ方が早いって、あなたに忠告しておくわ!」講師を差し置き、すかさずおばさまアドバイス。ひと言ひと言が、この国での彼女の経験によるものだろうし、それらは決して間違ってはいないのだろう。それにしても、ちょっとうるさい…。申し訳ないけど、これじゃ集中できないじゃない…と最初は私、少々鬱陶しく思っていました。ハイ、人間がちいさいものですから!

 かつてフランス植民地だったアフリカ諸国ではフランス語は公用語。学校教育もフランス語。よって、彼らにはことばの問題がない。ことフランス語に関する限り、訛りはあっても不自由はないのである。それでも生活環境、国の、個人の経済レベル、社会システムに視点を移すとどうだろう。日本人がフランスで感じるカルチャーショックより、彼らの感じるそれの方がずっと大きいに違いない。に・し・て・も。そのショックを吹き飛ばして余りあるほどのバイタリティーが、彼らにはある。さらにはにぎやかで大らかな人が多いので、おばさま以外にもツッコミを入れたり、話を蒸し返したりする人が多く、ともすると教室は学級崩壊並みのカオスと化す。各々が自分の意見や体験談を披露したがり、その声がみな一々大きい。そこに一切、悪意なんてないのだけれど! 途中、あまりの騒がしさに事務局の人が「なんだ、なんだ」と様子を見に来たほど!最初は落ち着かなかった私も、2時間もするとすっかりこの空気に慣れて(呑まれて?)しまい、みんなエネルギッシュだなぁ…なんて感心してしまった。

 午後の授業はフランスの住居事情からはじまった。賃貸契約に必要な手続き等々を講師が説明していると、おばさまがふたたび話題をさらった。

「私は女性支援の組織で働いているの。パリには女性のホームレスも多いから、簡易宿泊所の手配をしたり。驚くのは、そしてここで伝えておきたいのは、路上生活を送る女性の一部は複数回、性的暴行を受けているということです。一度じゃない、複数回ですよ!」

 え?!私がおばさまを振り返るのと同じタイミングで、最前列に座った若い男性が何事かを早口でつぶやいた。訛りがきつくて、聞き取れない。ノン!ノン!おばさまが応戦する。あの若者、いったいなんて言ったの?隣の女性に聞くと、その隣に座っているおばさまが私の方へ身を乗り出し、説明してくれた。

「あの子はね、こういってのけたのよ。〈だけど〇〇地区をうろついてる女なんてジャンキーばっかじゃねえか〉ってね!」

 それはおかしい。私とおばさまは、突如憤りで結託する。もし仮にジャンキーだったとしたら、どんな扱いを受けてもしようがないというのか? ああ、なんてこと。そんな残酷なこと、恐ろしいことを平気でいえる、考えられるなんて…。

「ハイハイ、静かに!次の項目へ移ります。」

 ねぇ、あなたの働いてる組織って具体的にどんなことしてるの?声を潜めておばさまへ質問する。

「女性を取り巻くあらゆる問題を支援してるの。DV被害からさっき言ったみたいな住居問題、彼女たちがより健全な生活環境へと移行できるよう実務的な問題解決にも取り組むし、同時に精神的サポートもする。私、フェミニストなの。」

 微笑む彼女に、私は敬意を覚えた。彼女の全身をゆったり覆うストールは、まぶしいほどに色鮮やかでどこにも禁欲的、抑圧的な匂いがしない。それはただ純粋に美しい民族衣装、彼らの国の慣習、装いとしか、私の目には映らない。フランスに暮らしてもなお、彼女がこんな風に装い続けるのは、自身の文化や信仰への敬意と誇りからのように見える。宗教的縛りなんかじゃなし、に。

〈そうそう、信仰は本来そうあるべきものです!〉

 午前中のおばさまの発言を思い出す。かの国に暮らす多くの人々にとってそうであるように、彼女の信仰生活もきっと、生まれ落ちたと同時に始まったんだろう。本人の意志に関わりなく。彼女の母国、モーリタニアについて私は何の知識も持たないけれど、信仰とその教義が大きな価値基準を持つ社会、こと女性の地位がまだまだ確立されていない社会にあって、女性に生まれるってどういうことなんだろう…。自由と権利が盛んに叫ばれるフランスへやって来て、みずからフェミニストと名乗り、女性支援にいそしむ彼女。私には想像もつかない、彼女のたどっただろうその精神的道のりを思い、私は心ひそかにブラヴォーと拍手した。

 モーリタニアについて調べてみた。1960年に独立。国教はイスラム教スンニ派。いまだ同性愛行為は違法として罰せられるようだ。女性が纏うベールはメラファと呼ばれ、太った女性が美しいとされる。年頃になっても痩せている場合、体重増加のため、無理に牛乳を飲まされる習慣があるという。現在、政府はこの強制肥満の習慣をやめるよう指導しているらしいが…。2003年にようやく女性の人権に関する法律が定められ、選挙権も与えられた。本当にごく最近のことだ! さらに…いまだ一部には女性器切除の慣習も残るという。

 メラファを纏った勇敢なフェミニスト、もう一度、彼女にブラヴォーといいたい。

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