乳色の庭
フランス北部に暮らすローラン叔母の家を訪ねてきました。
晴れた日には海の向こうにうっすらイギリス、カンタベリーの断崖が見えるオパール海岸。風になびく夏草や野の花はわずかに紅茶を滲ませたかのごとく色に陰りがあり、生命力に満ち満ちた南部のそれとはやっぱり違う。鈍く曇った日が多く、風も強いけれど、少し日が差せば粒子の細かい砂浜、空の青、エメラルド色の海がやさしく光り、まるで大気中にうっすら白い粉砂糖をまぶしたよう。ここは陽の光がちょっと白っぽい気がする、そのせいかしら…と問うと正解だそう。ローランいわく、多くの人が〈海の青さがオパールを思わせるゆえ〉のオパール海岸だと勘違いしているけれど、もとは陽の光がOpalin(オパラン:乳白色)をしていることから名づけられたのだという。海を渡ればイギリス、少し車を走らせればベルギーで、近隣諸国からの観光客も多い風光明媚な場所…とはいえ、たまに来る分には充分にすてきなんだが、夏でさえパリより確実に肌寒いし、風は強いしで、冬の長さが容易に想像できて、私には暮せない。イギリスの田舎町、いつか行ってみたいなぁ…と思っていたけれど、二度目のオパール海岸で、今はなんとなくその色彩、厚い雲の下、かすかに湿り気を帯びた風景が想像できてしまう。むかしアイルランドに行った時も感じたけれど、風になびく色褪せた夏草を見ているとワイエスの絵がひたひたと迫って来る。藁色の丘の上、あらぬ方向へ手を伸ばす少女の痩せた背中、ヘルガの頑なな眼差し。それにしても、ワイエスがアメリカ人だなんて、やっぱり違和感がある。
モリス諸島出身のS叔母さんには子供がいない。留学中のイギリスで仏人の夫と出会い、フランスへ嫁ぎ、もう20数年が経つ。本当はイギリスの方が好きだったけれど、と叔母さんはいう。数年前に離婚して、今はひとり暮らしだ。人生は時に皮肉だ。いわゆる〈家族好き〉の叔母さんは、私たちが行くとそれは喜んでくれる。おかげで会うのはこれが3度目だけれど、いささかの違和感もなく、我が叔母を訪ねるような気楽さだ。もっとも、気楽に訪ねられる叔母さんなんて、これまでいなかったのだけれど。朝寝坊して台所へ降りていくと、待ってましたといわんばかりのキス攻撃。〈よく眠れた?コーヒーはもう入ってるわよ〉〈ああ、あなたたちがもっと近くに住んでたらねぇ…!〉親しい親戚づきあいを知らなかった私と、近くに家族を持たない家族好きの叔母さんと。まるで〈姪と叔母〉ごっこだ。
叔母さんを見ていると、誰にでもぴったりの年齢というのがあるんだな、と思う。若い頃の叔母さんもチャーミングだったに違いないけれど、S叔母さんには〈叔母さん〉というポジションがよく似合う。時に過剰になりがちな彼女の愛情、人懐っこさ、あたたかさ。それらすべてが今、ようやく丸っこいからだにすとんと収まり、やわらかな脂肪の内側でゆったり寛いでいるような、そんな気がするのである。
〈女の手は可愛がれる何かを、いつも探し求めている〉
田辺聖子さんのことばを思い出しながら、庭に出る。
〈年々、冬の長さがこたえるようになってきたから、退職したら南に移ろうかと思うの〉
ミントの葉を摘む私の背に叔母さんが独り言ちる。でもここには友達がいるでしょ? 友達なんてそんなにいないわ、叔母さんは肩をすくめてみせる。白い大きな紫陽花が静かに揺れている。それでも叔母さんの携帯は始終ハミングするように鳴り響き、そのたびに彼女は嬉々として私たちの来訪を告げるのである。
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