ヴァカンスのはじまり、選挙と映画と伝え方について。

 日本でも報道されてたようですが、先週パリはなんと40℃を超えました!!ひゃ~~ホンマに暑かった!!!と、いいつつ一昨夜、激しい雨が降り、昨日のパリは曇り空。今度は突然、秋かいっ!?と空に向かって叫びたくなるほど、気温もぐっと下がり…。その癖、美術館行ったら冷房ないから、中は蒸し風呂状態、外に出ると肌寒い…の悪循環!嗚呼、女心と秋の空ならぬ、女心とパリの空でございます。

 個人的には今から、丸々ひと月のバカンス!やった~~!!といっても、現在お気楽バイト生活に過ぎないのだけれど、やっぱり嬉しいものは嬉しい。多少なりとも制約があるからこその、この解放感なのだなぁ…。とはいえ、小学校夏休みの二の舞にならないよう、自分で少しは充実させねば!!

 話変わって、先日〈れいわ新鮮組〉の候補者だった方々の記事、彼らのメッセージを読みました。読みながらいくつかのことばに胸打たれ、蒸し暑いアパルトマンで涙がぽろり。恥ずかしながら私は政治について無知といっていいし、〈れいわ〉に関してもかじり読みしただけで、彼らの掲げる政策、その実現性、あるいは山本さんの立ち位置、もしくは戦略に関して自分の考えがまとまっていないところは多々ある。それでもやっぱり当事者にしか語れない、見えない現実というものが確実にあって、だからこそ、(障がい者問題に限らず)いくつかのメッセージにはやっぱり胸打たれたし、そういった声がダイレクトに国会に届けられるってすごいことだなぁ…と肯定的に、多少興奮してローランに話した。

「でもミオ、当事者が必ずしも良き政治家になるとは限らないよね?」

「もちろんそうだよ。だけど、なんでこんなんが!!と思うような政治家なら、すでにごまんといる。だったら表層的なことしか語らない似非政治家より、現実に何が起こっているかを当事者としてきちんと見極めてきた人々に少しでも席を譲りたい。」

「フランスでもこれまで弱者、貧しき者の代弁者として当選して、だけど実際には期待を裏切るような形になった政治家、いるからね」

「それでも同じだよ。選挙に勝つことしか考えてないような人間をすでに政治家として何人も抱えてるんだから、それなら彼ら当事者の視点と熱意、これからの努力に賭ける方がどれだけいいか…!」

 と話しながら、自分も熟考することなく、すでに〈左派ポピュリズム〉の熱に巻き込まれているだけなのか…と自問してみたり。

 先日アメリカ映画「US」を見た。監督はジョーダン・ピール。前作「GET OUT」も娯楽作品として面白かったし…と、ホラー好きローランにつき合う形で見たのだが…。前作は人種差別に絡んだホラー、本作は経済の二極化、貧困という裏テーマを孕んだホラーで、いずれにしても誰もが抵抗なく楽しめる娯楽作品にこれらのテーマを盛り込んだのが新鮮。見終わった後に監督のインタビューを読むと、

「問題に無関心であり続けた人間は、残虐な行為が起こっても気づかずに傍観してしまう。私の作品の根底にあるのは、無関心への反抗」

 だという。いやぁ、さすが。耳が痛い。

 少しずれるが、日本でアフリカ人としてはじめて大学学長に就任したサコさんのインタビュー記事を思い出した。来日当初、直面してきた様々な壁をサコ氏は

「それを差別だとは思っていない。単に相手のことを知らない、理解が足りないから起こること。そこで被害者意識を募らせ、怒りの声を挙げても届かない。相手がビビるからね。大事なのは双方が歩み寄ること、じゃあそんな関係を築くためには何をしていったらいいか、を考えること―」

 と語っている。

 何かを伝えようとする時に正攻法で攻めるのか、もしくは変化球で勝負するのか。これは想像以上に大事なことなのかもしれないな…ピール氏の作品を観、サコ氏のことばを読んで思う(さらに昨日は録画しておいた映画「ミシシッピ・バーニング」を観た。ここでも真実を炙り出すために正攻法で行くのか、それとも相手にならって目には目を、で行くのかで若手とベテランが対立する。それにしても自分が生まれるたった10年前にこんな残虐なことが普通に行われていたということに改めて驚き、そうしていまだ同じような出来事が繰り返されている…ということに再びことばを失ってしまう…)

 伝えたいことは同じでも、その伝え方次第で結果的に伝わる範囲は大きく変わって来る。ピール氏の映画がいい例だ。もし彼が最初からストレートに〈人種差別〉〈貧困〉を全面的に打ち出して映画を撮っていたのなら、きっとこれほどヒットはしなかった―つまりこれほど大人数に彼のメッセージが届くことはなかっただろう。ホラー娯楽という、入りやすい入り口があったからこその動員数。

 サコさんのことばにしたって〈オブラートに包んで…〉などという、ごく表層的コミュニケーションのことではなくて、もっとスマートで品位ある伝え方、人と人との根本的な関わり方、在り方の話だと思う。テクニックなんて小賢しいものじゃなくて。いってみれば、相手を自分の部屋に招き、共にテーブルを囲み、お茶を飲んで…そんなリラックスした状態、関係性を築いた上で、相手をゆさぶることもなく、けれど向こうが自発的に問いはじめ、じわじわ変化していくのを待ち支えるような、そんな高度なコミュニケーション、対話だ。ま、マイケル・ムーアみたいな突撃型も個人的には決して嫌いじゃないけど、ね。

 生きてるだけで、学ぶこといっぱい。

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