水曜日のひとり言
今年のフランスは猛暑で、先週すでに38度を記録したくらい。それでも湿気がない分、もの陰に身を潜め少し風でも吹けばそれなりにひんやりするし、朝夕もまた真昼の熱気が嘘のように涼やかなのだ。週末の朝、中庭を眺めながら煙草ふかして、う~んと伸びをし空を見上げたら、そこだけ秋のよう。澄んだ空気にひかりの粒子がきらきら跳ねてる。日本の初秋の空にすごく似ていて、不意に神戸のマンションに戻ったような気分になった。
神戸にいた頃は何の予定もない週末、よく図書館に通った。うちから歩いて15分くらい、ちょうどよい散歩コースだったので(といっても道中には取り立てて何もないのだけれど)、お掃除して洗濯して図書館いって、ついでに帰りに買い物して、重くなった荷物をひいひい言いながらぶら下げて帰宅し、今夜は何を作ろうかな…と食材を冷蔵庫にしまいながらコーヒー淹れて、借りてきた本をぺらぺらめくる―そんな日曜をどれだけ過ごしたことだろう。ベランダでは洗濯物がお日さまのひかりをたっぷり吸い込み、もうすぐぱりっと乾くところ…。
ある人の日記を偶然読んだら面白くて時に切なく、夜半しゅんと静かな気持ちになった。性的マイノリティとして将来を案じながら思春期を過ごしたその人にとって、結婚しなくても良くて、その上ちゃんと食べられる仕事に就くことがまずは大前提、運よくそれが叶っても自分の将来〈孤独〉しかないと絶望していたそう。それがこうして同僚と他愛ない話で笑い、時折旅に出るなんて、すでに充分にお釣りをもらってる―。性的(あるいはそれ以外の)マイノリティと呼ばれる人々が生きている現実、痛みや葛藤なんて自分の想像力を遙か超えたところにあるものだろうから気安く共感なんてことばは使えないし、使いたくないのだけれど、それでもよかったねぇと同じくらい、うん、そうだよねと、私も自分の思春期を振り返り、うなずいた。
お誕生日に高校の同級生だった男の子から〈そろそろ衰えて来るから、お互い気つけてやってこうね〉みたいなメッセージをもらい、〈衰えるなんてやめてよ~!〉って返信したら、しばらくして〈年相応に楽しもうよ〉って返事がきた。それ以上自論を披露はせず、ありがとうで終わらせたけど、私、見た目にこだわってもないし(こだわる以前の問題か)、子供の頃から体力ない派だから肉体的エネルギーの低下にだって今さら抗うこともないけどさ、〈年齢を重ねる=衰える〉って考え方に、そこそこ45歳でまったく同意できないのよ。それって本当にそう感じてるのか?それとも〈そういうもんだ〉っていう単なるすり込み? 深い意味などないのだろうし、相手は気のいい人だから、それ以上突っ込みはしなかったけれど。携帯置いて、しばし考えてみた。何より避けたいのは感性が衰えることだなぁ。精神の余計な角が取れ、しっとり落ち着いてくのもわざわざ目指しはしないけど、それはそれで味わい深いものだと思う(いくら年齢を重ねたところで、その現象が自分にも起こるのかは疑問だけれど)。肉体が経年劣化していくのはもう、免れないでしょう。ただし、ビジュアルに関しては年取るごとに違う魅力(若々しさとは別物)を重ねていく人も多々いるし。そっちの方がずっと貴重。とはいえ、こちらもタダでは手に入らない。けれどその魅力にしたって、それが〈見える〉目を持っていなければ、やっぱり感知できないのだ。美しさも醜悪さも、ダイナミズムも繊細さも、豊かさ、切なさ、憤り、躓きさえ、ぜんぶ取り込んで最終的に美味しい!面白い!とあらゆる角度から味わえる、必要とあらば自分好みに味付けしなおせる、そんな感性が生きていく上でいちばん使える、非常に効果的な道具だと思う。その感性さえ好ましく機能していれば、大概のことはプラスマイナス、採算が取れる。だから私はそこんところ、簡単に衰えてやらない。いえいえ、衰えないどころか、そこんとこ、まだまだ洗練が足りないのです。
追伸:
Rちゃん、メッセージありがとう!いまだコメント機能、復旧しておらず、こちらから失礼。お互い楽しい魔女を目指そう!!私からも熱いキスをXXXX
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