無駄な抵抗はやめなさい

 亡くなったおじいちゃんがまだ60代だった頃、交通事故にあった。友達と外で飲んだ夜、車に轢かれたのだ。複雑骨折でしばらく入院したものの、その後足を引きずることもなく、無事退院。本当だったら、命を落としてもおかしくないような事故だったという。医師曰く、酔っぱらっていたのが不幸中の幸い。跳ねられ地面に叩きつけられた際、うまい具合に力が抜けていたらしい。ゴムまりみたいに。素面だったら反射的に力むもので、その分受ける衝撃もずっと強くなるという。

〈たぶん人生全般、そんなもんなんだろな…〉

 隠喩好きな娘に成長した私は、のちにこの話を聞いて妙に納得した。抵抗すればするほど、力みあがくほど、ますます収拾がつかなくなる…。誰でも一度や二度、そんな経験あるでしょう?

 なぜ、うまく行かないの、どうしたら、うまく行くんだろ…!? 何かを強く求め願い、じりじりしているようなとき。ああでもない、こうでもないと自問自答し、思いつく限り手を尽くしてみるけれど、光は見えず。万策尽きて、終いにうんざりして。もういいや~、どうにでもなれ!と、半ば開き直って〈結果〉を放棄した途端、なぜか鮮やかに願いが叶う。実に、思いがけないやり方で…。なんてドラマみたいな経験、あなたにもないでしょか。そんなのただの偶然、あるいは予測可能な結果のひとつだよ、いくらそう肩を叩かれたところで、当の本人がポカンとしちゃうような劇的な展開、〈ちいさな奇跡〉とさえ呼びたくなるような記念的出来事が、私のアルバムにもいくつかある。

 ああ、そうだ。幼い日、お隣までお使いに行かされた、ある日のことを思い出す。ドアを叩いてお届け物を渡すと、おばちゃんがいう。〈ちょうどケーキをもらったの。食べてらっしゃい。〉いいです、本当は食べたいくせに遠慮する私をおばちゃんはずるずると家の中に引っ張り込み、あの時、確かにこういったのだ。〈無駄な抵抗はやめなさい…!〉

 とはいえ、こんな話をするのは差し迫って明確な〈願い〉があるからじゃない。そうじゃなくて…あえてことばにするなら、今日、私は湯舟に浸かってるみたいにしあわせなんだ。(もちろん不機嫌な日だってあるけれど!!)地図も持たず、行き当たりばったり歩いてきて、ふと気づいたら何とも居心地のいい場所に辿り着いてた、そんな気分。もちろん〈ここ〉へ来るまでも充分に楽しかったし、しあわせだった。それでも〈ここではない何処かへ!〉と躍起になっていた日があったのも、また事実。あの頃は道に迷うばかりだったのに…。

 どこをどう通ってここまで辿り着いたのか、パンくずは落として来なかったから道順なんてわからない。なぜ〈ここ〉に呼ばれたのか、はたして自分が〈ここ〉に値するのかもわからない。だけど、目の前にはふかふかの椅子がある。〈座ってみれば?〉椅子がそうささやくので、とりあえず腰掛けてみる。腰掛けたら、どこからともなく愛想のいいクマが現れて〈あ、そうそう、これが飲みたかったんだ…〉というような、今まさに!の飲み物をにこにこ手渡してくれる。

 狐につままれたみたいだな。時々そう不思議に思うことがある。不思議だなとは思うけれど、”なぜに” は考えないよう、努めよう。幼い日、童話に親しんだみたいに楽しめばいいんだ。〈しらゆき べにばら〉〈カエルの王様〉〈ラプンツェル〉〈ロバの皮〉…哀しかったり怖かったり、教訓めいた話もいっぱいあったけれど、いちばん好きだったのはやっぱり魔法が絡むお話だった。〈森〉という広い広い世界、そこには当たり前のように〈魔女〉や〈魔法〉が存在していて、木の根方には宝石が埋められ、動物たちは人間のことばを喋り、小人はいたずらをしかける…。何度も何度も飽きることなく読んだ、あの物語たち。わくわくしながらページをめくり、なぜ〈それ〉が起こったのか、どうしたら〈それ〉を起こせるのかなんて考えず、もう一度、ただただ未知なる大きな力にうっとりすべてを委ねてみたい。種明かしなんて、野暮なことはやめとこう。あらゆるマジックは純粋に楽しむために、不思議に目を瞠るためにあるんだから…。

 45歳になりました!

1コメント

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  • 日々の音

    2019.07.08 11:26

    Joyeux anniversaire! おめでとう!!ありったけのハグとキスを!! わたしにはミオちゃんが魔法使いよ♡