観覧車で食べる夢
〈人生に対して過食症になろうと思う。いつかまた会ったら、いろんな話をしよう〉
18歳の春、卒業文集に記したことば。恰好つけたわけでも、照れ隠しのジョークでもなく、唯々まっすぐにそう願っていた。あの頃好きだったもの。本、映画、音楽、絵。19歳ではじめて海の外に飛び出してからは、そこに旅が加わる。ひたすら読みたい本を読み、映画を観て、そこに描かれるいまだ自分の知らない感情、人生に起こり得る物語に涎を垂らし憧れて、ため息つく私は、のどかな高校生活を満喫しつつ、刺激に飢えていた。生ぬるい。私が体験したいのはもっと強烈な〈何か〉なんだ…。同級生が甘い恋愛を夢見る隣りで、アナイス・ニンの痴情に―ではなく、うんざりするよな彼女の果てなき自己対話、その執着に感化されていたのだから、私の関心は誰よりもまず自分自身へ強烈に傾いていたのだろう。それは今も変わらない。物事を感知・体感できる自分という装置、実際にその装置を作動させて遊ぶのが、私は好きだ。
ブラジルの歌手マリーザ・モンチの歌う〈コミーダ(食べ物)〉の歌詞、
飲むのは水、食べるのは草、いったい何に乾いているの? 何に飢えているの?
を大書きにしたスケッチブック片手に学校をサボり、街をうろついていたあの頃。あれから私は予告通り、たくさんの共演者の手を借りて、無事〈自分行き〉のジェットコースターに乗り込んだ。願いは叶えられたのだと思う。恥ずかしいこと、忘れてしまいたいこと、絶対に忘れたくないこと…手当たり次第に食べては胸に刻み、吐き散らしてはまた食べ、次第に乾きも飢えも薄らいでいった。
「もう、いいや…」
ジェットコースターを降り、観覧車に乗り換えてから、しばらく経つ。眼下の光景は少しずつ、静かに広がっていく。
「80点、くらいかな」
ワゴンのガラス窓に額を押しつけ、27年後の私は思う。とはいえ、それはあくまでも〈今〉の私がつける点数だ。タイムスリップして、当時の私に〈これからあなたが経験すること、そこで味わう感情と考察についてのリスト〉を手渡したら、いったい何点くれるのだろう。
ねぇ、18歳の私よ。夕暮れが街をオレンジ色に染め上げていきます。みんな、豆粒みたいにちいさい。しばらくしたら、今度は蒼い蒼い夜がしっぽり街を包むでしょう。握り締めていたグラスはいつしか空っぽ。葡萄酒の赤い染みに彩られたテーブルクロスの上、つらつらと夢を見て、目覚めれば朝。私は観覧車のワゴンを飛び出し朝日を浴びて、ふたたび街へと繰り出します。もうお腹は空いていないのに、まだまだ食べたい。何を食べたいのか、思い悩めるほど、世界は今日もたっぷりと豊かです。
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2019.06.19 23:07