世界でいちばん軽いのは…
遡ること、今から2年半前。フランスに嫁いできてはじめて出会ったローラン父、つまり私の養父になるその人は、常に心配事を抱えていた。もうすぐ80に手が届く年齢ではあるけれど、息子より上背のあるからだは今でもがっしりと筋肉に覆われ、年相応の多少の故障を除けば健康そのもの。南仏の田舎町で〈ひとり暮らしには広すぎる家〉をそれでもきれいに整頓し、何かと面倒見のいい仲間に囲まれ、正直不自由なんて何ひとつなかっただろう。それでも当時、彼の目はあらぬ問題ばかり探し求めては、いつもうつろに宙を彷徨っていた。
ここ5年くらい、ずっと塞ぎがちで何を話してもため息ばかり―そう前もって聞かされていたから、それなりに心づもりはしていたけれど…。案の定、最初の出会いは気づまりのするものだった。遠慮がちに互いを探るとでもいえばいいのか、当たり障りのないことばを重ねつつ、その実じっとこちらの人間性―というよりはむしろ、息子の妻としての資質や価値を量られている感じがあり、私にとっては少なからず居心地の悪いものだった。いくらそれがごく自然な、あるいは多少過剰な〈親の反応〉だとしても。なにも大手を広げて歓迎されると夢見ていたわけではなかったけれど、お義父さんの警戒心を感じ取るたび、こちらも律儀に、いや過剰に反応してはストレスを募らせ、とうとう滞在数日目にしてなんと人生2度目の蕁麻疹まで体験した。いやあ、懐かしい…!
それが、今や…
「ミオ、世界でいちばん軽いもの、な~んだ?」
「…知らない」
「それは男性の逸物である。たったひとつのアイディアで軽々と宙に浮く…!」
「…!!」
一たび相手を間違えばセクハラともなりかねない際どいジョークで、能天気な嫁を絶句させるほど元気で陽気なお惚け爺さんになった。もともと単純で気が良く、部類の冗談好きだったらしい。しかし、私だって負けてはいない。エロい冗談を振られれば〈あ~ら、そうなの…?〉ニヤリ笑って、お義父さんのウェストの辺りをちらりと見やるぐらいのことはやってのける。
去年、ちょっとした手術で入院中のお義父さんを見舞った時は、点滴袋をぶら下げて、〈こんなんじゃ、買い物にも行けん…!〉と、ぼやく彼に
「大丈夫よ、お義父さん!こうやって歩けばいいの!」
左手を腰に、右手で点滴袋をぶんぶん振り回すジェスチャーでスキップして見せた。
「まったく…!馬鹿にしおって!!」
といいつつ、その頬はうれしそうにゆるんでいる。
毎週土曜、養父からローランにかかってくる電話にちょっと代わらなかったりすると…
「ミオにいっとけ。どんなにお前さんがわしのことを好きでも、毎日電話はいくらなんでもしつこい。ちょっとくらい、わしを放っといてくれってな!」
「ハイハイ、わかったよ」
父さんが喋りたいみたい…と、携帯をよこすローラン。
「やあ、ミオ!声がきけてうれしいよ~!どうせローランが嫉妬して代わらせなかったんだろ。わしらがあんまり仲いいもんで…!」
かわいい奴である。しかし、喋り出したら最後、こちらの話なんて聞いちゃあいない。
すっかり元気になった養父は若い頃からずっと参加していた地元の卓球クラブ、老人倶楽部のトランプのソワレに加え、最近ダンスにも通いはじめた。いわく〈みんながわしと踊りたがる〉らしい。よろしいことだ。
出会いがしらは化学反応。良くも悪くも勝手に反応してしまうもの。だけど、その反応が絶対に正しいかどうかはわからない。人間関係は料理と同じで、一見〈食べ合わせ〉の悪い食材同士でも、多少のアイディアとスパイス次第でいくらでも〈乙な一品〉に化ける可能性だってある。まあ、絶対に食指の動かない相手というのも存在するが…!
「父さんはいい奴だけど、もし同世代だったら、果たして友人になってたか分からない」
それくらい趣味も性格も違う父と息子。義理とはいえ、今こうしてお義父さんと私が親子関係にあるのもまた、つくづく不思議な縁だと思う。めぐり合わせって面白い。
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