ネグリジェ女のクローゼット

「むかしはもっとお洒落してたんだよ。だけどさぁ、結婚してもう着飾る必要もないわけじゃん…?」

 結婚生活に悩む友人がそう、ぽつりつぶやいた。かれこれ10年近く前の話である。その後、いろんな流れがあり、残念ながら彼女との交流は途中でぷつり、途絶えてしまった。今頃どうしているかしら…。

 不安と不満に呑み込まれ、すっかり疲れ切った彼女のいつ終わるとも知れぬ愚痴を聞きながら、私はゆっくりその髪を梳いてあげた。次第に彼女の気が鎮まっていくのがわかる。明るい色の口紅を貸し、何となく購入したものの、やはり自分には似合わない薄桃色のニットを良かったら、と差し出していった。

「気分転換にもうちょっとお洒落してみない?」

 冒頭のセリフが返事である。思わぬところを突かれ、気恥ずかしくもあったのだろう。精一杯のいいわけだとわかったから、独身だった私はそうね、とだけうなずいた。心の中で〈お洒落って自分のためにするものじゃない?〉と独り言ちながら。

 時は流れて…。寝起きのままのぼさぼさ頭にバスローブという、実にだらしのない出で立ちで一日ソファに寝転がっていても、〈そのままであなたは完璧〉と全肯定してくれる夫を手に入れた現在、私は自らの運の良さと、同時に女としての危機感との間で時折う~んと悶絶する。〈独りだった頃の方がよっぽど私、女だったわ…。もしや、これが中年化現象のはじまりか!?〉と、しばし悶絶してはみるものの、結局は居心地の良さにすんなり寝返り、そのまま怠惰な日曜を終えるのだ。ちなみにもはや死語と化した寝巻を意味する〈ネグリジェ=négligé〉は、もともと〈おろそかにする、怠る〉を意味するフランス語だ(転じて女性の部屋着も意味する)。つまり、だらしないってことね!今の私は二重の意味でネグリジェ…

 結婚したからお洒落はいい、なんて今もさらさら思わない。やっぱりお洒落は楽しい。やっぱりお洒落は他の誰でもなく、自分自身のためにするものだ、でも。〈素敵〉からは程遠い、ネグリジェ惑星でのたらたら共同生活もまた、ちっぽけな自我がほろほろとろけるほどに快適で味わい深い。捨てがたい。それはなんだか、子供のいる家に行った時の感覚にも似ている。散らばったおもちゃ、絵本、笑い声…無秩序の中のくつろぎ、みたいな。そうね、もう少しくつろいだシックを目指そう。めっきり出番のなくなったばりばりシックなローブを見て思った。

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