コンプレックスを飼いならせ

 11歳の夜だった。はじめて映画「ローマの休日」―、いや、はじめてオードリー・ヘプバーンという名のひどく痩せっぽちでいて、その癖ひどくチャーミングな女性に画面越しに出会ったのは。

 人生にはその後の価値観や在り方、あるいは行動に大きく影響を与えるような映画や本との〈幸福な出会い〉というのが少なからず存在するけれど、私にとって「ローマの休日」もそのひとつ。当時の私を大いに励ましてくれた作品だといっていい。女の子が好きそうな物語の設定はもちろん、私の心を奪ったのはくりくりした目の小鹿みたいなアン女王、もっと正確にいえば、お世辞にもバランスが取れたとはいいがたい、小枝みたいな彼女のその〈体型〉だった。映画の冒頭、楚々としたプリンセスだった彼女が、おでこの天辺でかろうじて前髪がはねるくらいにばっさりと髪を切り落とし、バイクに跨った頃にはもう…文字通り私はTVの前で骨抜きになっていた。フレアースカートをふわり揺らしながらスペイン広場の階段を下りる彼女、その軽やかな姿にうっとり見入りつつ、私は自分の胸の中に〈希望〉という二文字がむくむく膨らんでいくのをじっと噛みしめていた。

〈痩せっぽちでも、こんなに素敵な人がいる―!〉

 それはほとんど救済といってよかった。どんなに食べても太れない、筋金入りの痩せっぽちとして生きてきた11歳の私にとって、男の子も女の子も途端にそれらしい体型へと成長し、俄かに色気づくこの季節―つまり思春期は、始まる前からすでに絶望的ブルーに塗りたくられていたのだから。いつまで経ってもふくらまない胸、うっすら肋骨が波打っている胴体、ひょろひょろとゴボウみたいに細い手脚。ああ、まるで花開く前に枯れてしまったつぼみのような自分! 女らしい魅力とはきっと生涯無縁なんだ…。人知れずコンプレックスの海で溺死しそうになっていた私に届いた一筋の光、それがヘップバーンだった。今となっては〈大袈裟な〉と笑い飛ばしたくなるものの、思春期なんてそんなもの。とはいえ〈痩せっぽち〉=ヘップバーンのように魅力的になれる、なんて保証はないし、第一この映画のおかげで私のコンプレックスが一掃されたわけではさらさらない。体型に限らず、売るほど持っていた多種多様なコンプレックスとのつきあいは、現在も続いている。ただし、今や主導権を握っているのは私の方。あまりに大事にし過ぎると、調子に乗ったコンプレックスがアイデンティティーになり替わるという危険性に気づいてからは、努めて毅然とした態度で接するようになったから。おかげで、かつてあんなに勢いの良かった彼ら(コンプレックス)も〈お静かに!〉とひと言告げれば、しぶしぶ口をつぐむまでに成長した。つまり、私は彼らを飼いならしたのだ。いや、図太くなっただけ??

 人生は時にオセロ・ゲームに似ている。〈ない、できない〉の黒を、いかに〈これならある、こんなやり方ならやれる〉の白に裏返していくか。〈ない〉に対して、大人しく世界を閉ざしてしまうのはもったいない、つまらない。独創性に欠ける。それどころか、この〈いかに裏返してみせるか〉こそ、個人の腕の見せ所であり、経験を積むことの面白さだと今、あらためて思うのです。

 さて、ヘップバーンという救世主に出会った11歳の私はコンプレックスにまみれつつも、積極的に〈痩せっぽち〉のお洒落を楽しみ、自分なりのスタイルを作り上げていった。〈黒〉が〈白〉に裏返った瞬間だ。―なのに、どうしたことだろう。ここに来てまた〈黒〉の快進撃! お腹周りと顔だけが肥大化し続けるという異常事態に鏡の前でうろたえる私。ふくらんで欲しいのは、そこじゃあないんだよ。

〈ね、ミオ。あきらめなよ。僕らもとうとう脂肪をたっぷり貯えた、見事な中年になったんだよ。〉

 さ、どうやって裏返そうか、私。

1コメント

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  • 日々の音

    2019.02.12 22:43

    Mioちゃん わたしもヘップバーンもローマの休日も大好き♡ そして、コンプレックスを飼いならしたMioちゃんがかっこよくて誇りに思うわ。(なに様?笑)I’m proud of you♡