冬の決断
ちょうど1か月前…
この日記にも幾度か登場した韓国人の弟分J(息子くらいの年齢だけど!)が、ドイツの田舎町から巴里の我が家へとやって来た。Jといえば、帰省中の韓国で出会ったドイツの好青年Mとつき合いだしてドイツへ逃避行。とはいえ、そもそも来年はアメリカのデザイン学校へ入学する予定で準備を進めていたはずだから、いったいどうなることやら…と気になっていたのだ。まだ冬と呼ぶにはあたたかい、11月の土曜。エレベーターのない我がアパルトマン、スーツケースをガタゴト引きずって3階まで。挨拶もそこそこにグラスを傾け、ようやく一息ついたところで〈Mとはどう?〉と尋ねると、J、おもむろに左手をかざして見せた。うん…?!見るとその薬指には夕暮れの光を反射して鈍く輝くシルバーの指輪が…!!!え~~!!??
「プロポーズされた…つい1週間前」
聞くと、アメリカへ旅立つ予定で準備を進めてはいたけれど、渡米すれば最低でも6年は向こうに滞在することになる。さらに6年の間にはグリーン・カードの申請もするだろうし…と、〈アメリカ行き=恋の終わり〉は想像に難くない。それはJにしたって、もちろんMにしたって望むところではなく、けれど現在ふたりが暮らす田舎町にはデザイン学校どころか、外国人がドイツ語を学べる機関すらない。いくらMを愛しているとはいっても、念願だったアメリカ留学を蹴るにはまだまだ若すぎるJ。一方、そんな心揺れるJを引き留めようと、警察官として働くMは昇進試験に挑むことを決意。合格すれば州内のもう少し大きな町へ移動できる。そうすればJの選択肢だって広がるよ…と、とうとうプロポーズに踏み切ったというわけ。
「アメリカの学校へは12月に返事しないといけない。ひと月じっくり考えてから返事するよ、その間僕は韓国へ一時帰国する、そういって出てきたんだ。Mは泣いてた…」
そういうJ自身も充分に混乱していて、ここ1週間まともに眠れていないという。
「頭ではアメリカへ行くべきだとわかってるんだ」
「じゃあ、心は?あなたの心はなんていってるの?」
「心は…Mと一緒にいたいって…」
私とローランは黙ってJの話を聞いていた。〈人生は長いよ。ずっとアメリカで勉強したかったのなら、行ってみるべきだよ。〉Jの倍、人生を生きている者として、そう助言するのは簡単だ。けれど同時に〈かけがえのない出会い〉、それがどんなに貴重なことかも私たちは身に沁みて知っている。たとえ、その出会いが必ずしも永続的な関係に昇華するとは限らなくても―。何より人生を左右するくらい大きな選択こそ、どんなに苦しくても最後は自分ひとりで決断しなきゃならないのだ…。
この夜、Jは最初の1時間でものの見事に酔っぱらった。Mとのこと、将来のこと、そうして20数年間の人生について―。苦労知らず、気のいいぼんぼんだとばかり思っていたJの思わぬ過去に触れて、ふたりぽろぽろ泣きながら、私は目の前のこの子を美しいと思った。罠にかかった生きもの、柔で傷つきやすい、野生の小鹿。〈ごめん、ごめんね…〉とつぶやき倒れるJをどうにかソファに寝かしつけながら、私はいつのまにか遠く過ぎ去った、それでも振り返れば今もすぐそこにある、甘くほろ苦い日々を息をひそめて思い返した。
〈よろこびだけじゃない。傷みだってぜんぶ、可能な限り経験したい。自分の心の領域をできうる限り押し広げて、味わえるものすべてを味わい尽くしたい。人生に対して、私は過食症になるんだ〉
思春期の私は本気でそう思っていて、事実、その通りの青春を歩んだ。世界中、あらゆる路地裏で信じられないほどの煌めきに満ちた瞬間に幾つも出会いながら、もっともっと―と、魅惑的な痛みを求めて歩き続けた。振り返れぬほどの痛みさえ、なぜ経験したかったんだろう、あの頃の私は。あり余る好奇心、抑えようのない情動に突き動かされて、まだまだ頼りなかった自我を時にボロボロに傷つけながら、転んでは起き上がり、膿んだ傷口に無理やり憧れをすり込んで、少しずつ私は〈わたし〉になってきたんだなぁ。
二日酔いのJを見送ってから、あっという間にひと月。J、いったいどうしたろうな…。どんな決断にしろ、あなたの決めた道がいちばんあなたに相応しい―、そう祈るような気持ちでメールを送る。
〈もう12月ね。元気にしてる?〉
〈もうミオ!サプライズにするつもりだったのに…!〉
〈明後日ね、ドイツに発つよ。結婚のための書類もぜんぶ用意した。そう、結婚するんだ。Mと! アメリカにはずっと行きたかったけど、最終的にマークを選んだよ。30前に結婚するなんて、自分でも本当にびっくりだけど…!ドイツに戻ったらボク、ドイツ料理をいっぱい練習するから、いつかミオ、ローランとふたりで食べに来てね!〉
未来がどうなるかなんて、誰にもわからない。サイコロを振っても、カードを切ってみても。だから、今を生きるんだ。ふたりの〈今〉にたくさんの祝福を―。
〈追伸〉
この日記を書いたのが実は数週間前。投稿するのを忘れたまま、時間だけが過ぎ…。ご存知の通り、現在Parisは激しいデモの真っただ中。暴動が起こっているのは一部の地域、週末に限ってのことなので、私たちはいつも通りに暮らしています。TV映像を見ていて思うこと、また改めて書きたいと思います。
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