中庭の誘惑

 はじめてのゲイ・プライド・パレードに、天国を見た。あのパレード、あの空気に、なぜあんなにも心惹かれるんだろう…? 帰りのメトロの中、カラカラに乾いた喉を持て余しながら、ぼんやり考える。途中、乗り換えた車両はエアコンなし。むぅっと蒸せた空気に思考は呆気なく停止する。胸のうちだけがドキドキと、いたずらにリズムを打ち続ける。

 熱気にやられ、クタクタに疲れ切って帰宅したその夜、アパルトマンの中庭に、私はふたたび天国をみつけた。持ち寄り、自由参加の隣人パーティだ。クタクタとはいえ、〈中庭〉に〈パーティ〉よ? こんなに魅力的なことばをふたつも並べられたら、ソファに伸びていられるわけがないでしょう…。からだはだるいのに、気持ちは軽く興奮している。妙なテンションのまま、出し巻きを焼く。前日に煮ておいた椎茸を並べ、きゅうりを切って、太巻きを2本、3本と巻いていく。小さな台所がツンとお酢の香りに包まれる。午後9時、人見知りのローランを無理やり引っ張り、まだまだ暮れない夏の庭へ―。ああ…、天国はいたるところにある…! 子供と大人、男と女とその中間、黒い肌、白い肌、黄色い肌!夾竹桃、アボカド、オリーブに笹竹…、人も緑も、ひとつになって夜風に揺れる―。

 中庭パーティは私の夢のひとつだった。隣人たちが集う庭の食事、外国映画でそんなシーンを見るたび、ため息をついたものだ。いいなぁ、私もせめて気安くつきあえる隣人がほしいなぁ…、こちらは神戸で叶った。(323号室のAiko一家に、私が324号室!正真正銘、本物のお隣さんと家族のような付き合いを楽しんだ!) だけど、さすがに中庭パーティは日本じゃねぇ。第一、中庭がある建物がまずないじゃない…。その点、パリも似たり寄ったりらしい。私の暮らす11区は、もともと職人の工房が立ち並ぶ地域だったという。当時の工房はちいさな中庭をぐるりとめぐるように設計されていて、それら工房がそのままアパルトマンに建て替えられたことから、11区には中庭のある建物が多いのだそう。なんという幸運!私たちの住居は表通りに面していて、あいにくキッチンからしか中庭は臨めないけれど、それでも鍋を火にかけながら、季節の変化に目を留められるのはとても気持ちのいいものだ。冬は雪に、今は生い茂る緑に包まれた、愛らしいちいさな庭―。その庭の真ん中で、むかし夢見たように、年齢も雰囲気も素敵にちぐはぐな隣人たちと次々にグラスを交わす―。

 気づけばいつのまにか、かつて夢見た場所に立っている。

 たくさん夢をみてきたなぁ…。心から願った夢もあれば、思い込みから願っただけの夢もある。あまりにあっさり叶い過ぎて、ついつい〈叶っている〉ことすら忘れてしまう願いもあるし、いまだ叶えられていない願いもある。夢をみるのは楽しい。その〈楽しみ〉のために、私はこれからも夢を見続けるだろう。でも、いちばん大きな夢は、もう充分に叶えられた、と気づいてしまった…。この世にやって来て、たくさんの人と出会い、愛するという夢。〈現在完了形〉ではなく、〈現在進行形〉で、ますます大きく叶えられつつある夢。

 とはいえ、いくら〈愛〉を語ったところで、私がいまだ大人げない、懐のちいさい人間だということに変わりはない。だけどね、もう、それでいいんだ。この美しい世界を旅立つまでに、運が良ければもう少し、賢くなれるかもしれない。賢くなれれば幸いだし、あるいはこのまま、夥しい欠点を纏ったままでも―、本当はもう、完璧なんだ。欠点さえ併せ持てるほど、私も、この世界も〈豊か〉なんだ。そういう風に世界を眺めようと決めたのだから―。だからもう、私は1ミリも自分を修正しようとは思わない。正すこと、それ自体が快楽でない限り!(みなさん、ごめんなさい!)たとえ明日、つまらないことに怒り、愚痴をこぼしたとしても、私の中心はすでに充分に幸福に満たされている。ずっと前から、そうだったんだ…。ローランと暮らすようになって、ようやく私はそのことに気づいた。理屈ではなく、体感として。だから、頭の天辺までとろとろと幸福に浸かる。忘れないよう、何度も何度も―。

 

 はじめましての隣人たちと良い加減に酔っぱらい、すっかりいい気分になっていたら、夫と同じ、ローランと名乗る隣人が特別に〈見て〉くれた。

「君は…宇宙だよ。旅立って辿り着いて、また旅立つ。旅の多い人生になるよ、これからも。それにね、子供時代を取り戻すんだよ、今ここで。そのために彼(ローラン)もいる。」

 びっくりして、うれしくて、泣きながら笑った。庭は、しっとりと夜に包まれていた。 

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