吸血鬼たちの午後

「150年後には、パリも海の下に沈むらしいよ。」

 あちらにも、こちらにも。まばゆい陽射しをいたるところに、ピンで留めたような午後だった。樹も人も黒々とした影を引きずり、じっと暑さに耐えている。

 パリだけじゃない。ロンドンだって、街中に大きな川がある都市は、温暖化による海面上昇でみんな沈む、という。

「まぁ、その頃にはもう、僕らはこの世にいないけどね」

「さぁ、それはどうかな。吸血鬼にでもなって、案外、まだこの世を彷徨ってたりして…!」

 いいながら、好きだった映画「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」を思い出した。もし、数百年もこの世を生きねばならぬのなら―。いかに魂の恋人とはいえ、時に離れて暮らしたくもなるものかしら…。その間、吸血鬼という正体を隠したまま、あるいは理解してくれる人と、それとも他の吸血鬼と、しばしのアヴァンチュールがあったりするのだろうか。いかに忠実なローランとはいえ、数百年の間には違う相手に惹かれることだってあるだろう。私に至ってはいわずもがな。(いやいや残り数十年の今生にしたって〝神のみぞ知る〟だ。)

 数百年の間には、外国語だっていくらか話せるようにもなるだろう。ふらりふらりと世界中を彷徨ううち、思い出はあふれ、けれど記憶は薄れ…、やがてすべてが色あせ、泡のように消えてゆくのだろう。

「想像してごらんよ。朝、窓を開けたら、すぐ下に海が広がってるのを―。もうメトロはないから、ミオ、そうしたら泳ぎを覚えないといけないよ。」

「ううん、その時はゴンドラを買うから大丈夫よ。」

 充分に長生きしたとして、あと40年、50年。〈楽しい人生でした、さようなら〉と、この世を去り、やがて私はふたたび生まれ変わって、この世界へやって来るだろう。その時、女なのか男なのか、どの国に生まれ落ちるのかはわからない。それでも、なぜか、どうしようもなく―。ある日、日本的なもの、あるいはフランス的なものに引き寄せられ、心奪われ、わけもわからず〈メランコリィ〉に胸焦がすかもしれない。やはり絵を描いているのかもしれないし、もしくはこうして、胸のうちの〈よしなしごと〉をつらつら綴っているかもしれない。そうしてじっとりと汗のにじむ、ある風のない日曜日、誰かと一緒に空を見上げ、〈もし、150年後もここにいたら―〉と笑い合い、笑ったとたん、ドキリとする。隣にいる人をもう一度つぶさに見つめ、見つめながら突然、雷に打たれたように〈ああ、この人のこと、ずっと前から知ってた…〉、そう静かな確信に満ちて、思わず泣きたくなる…こともあるかもしれない。ううん、今、この思い、考え、からだをめぐるセンセーションすら、遠い遠い、別の物語の記憶を〈わたし〉の上に再生しているだけなのかも…。

 新たなページをめくりながら、なぜか懐かしく、うれしい癖に奇妙に切ないとき。それは、この光景を愛した証だ。かつて、何度も。


0コメント

  • 1000 / 1000