黄色い紙とR・カーヴァ―、火曜日の覚書
昨夜は二週間ぶりのアトリエ
子供のいないわたしは常日頃、すっかり忘れているものの、
こちらの学校は本当にバカンスが多い
アトリエのカレンダーもまた学校に合わせてあるから、
なんだかんだでちょくちょく短い休暇が入る
最後はただ「一度はじめたものを終わらせる」という目的のため、
やけになって描き上げた課題
「三面記事をふたつ選び、それらふたつが交差する物語をつくること」
という課題をもらったときには、面白そう!とやる気に火がついたものの、
シナリオの段階から、なんとなく気が進まず…
絵に入ってからもなんだか無理に物語をひねり出している気がして消耗
「物語」の創作はわたしには向いていないのでは…と、ふつふつと疑問が。
かといっていわゆるエッセイマンガ的なものは自分にはまったく向いていないと思うし、
じゃあ、いったい何を描けば…?
ふと、気晴らしに短編小説に絵をつけてみたらどうだろう?
そう考えて目に留まったのがR・カーヴァ―だった。
夕方アトリエに通い、先生に作品を見せる。
「悪くない。絵は良いし、あとは物語の構成をもっといじってもいいんじゃないかな」
そこで、打ち明けた。
「これまで見せた作品を踏まえたうえで、どんなジャンルがわたしに向いていると思う?
なにを描いたらいいのか、すっかりわからなくなって…」
「そうだな…一度、短編小説をバンデシネにしてみたら?」
「え!今朝、そう思ってたところ…ちなみにどんなジャンルの?」
「チャンドラーとか。アメリカには非常に乾いた文体があるだろ、ああいうの」
「うそ!まさにR・カーヴァ―なんてどうだろうと思ってたの」
「君の絵にはすでに詩情があるから、物語自体が詩的じゃはない方が僕はいいと思う。
乾いた、淡々とした小品の中に君ならではの詩情を醸し出す方がうまく行くと思うよ」
「絵と物語の間に距離を置くんだ。ふたつが多少相反する方がきっと君の絵が効果的に映える」
目から鱗だった。
非常に納得した。
詩情、エモーショナル、雰囲気…は自分でも意識するところだし、それらが念頭にあるからこそ、
どちらかといえばその手の物語を手掛けるべきだ…と無意識理に思っていた
けれどここ数年、わたしが好んで読んでいるのはまさにアメリカの短編、
時に素っ気ないほど飾り気のない、巧妙に無駄のそぎ落とされた文体だった…
けれども、それらふたつを結び付けようとは考えてもみなかった!
わたしとしたことが…!!(笑)
四コマを描いていた時は短歌、俳句の考え方
(絵もことばも饒舌になりすぎず、的確に摘み取ること)を念頭に置くようにしていたが、
バンドデシネを始めてからは、すっかり道に迷った感があり…
自分にしっくりくる作風を得るには当然それなりの時間と経験がかかるものだとしても、
それでも昨日もらったアドバイスにはこくんと素直に頷かざるを得なかった
とういわけで、朝から久しぶりにR・カーヴァ―の短編を読んでいる。
どれに絵をつけるかはすでに心づもりがあったので、あとはどう料理するかを考えるのみ
ちなみに今回は紙の下地の色を変えてみた
今までは珈琲で彩色した紙に鉛筆で描いていたが、今回は黄色い下地にしてみようと思う
紙を切ったり、塗ったりしながら、急いた心でふと思う
この短編小説のコミカライズをいくつかクリアし、手ごたえを得たら、
そのうち、過去にまとめていた自分の日記をバンドデシネにできるかもしれない
物語ではなくて、現実から切り取ったごく短い逸話…どうだろう?
無名のひとびとの、特にどうということのない、ちょっとした瞬間
心なしかうきうきしている
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