描くことは、ふたたび愛すること

「描くことは、ふたたび愛すること」

かの放蕩作家、ヘンリー・ミラーの言葉です。

若かりし頃、一度は「北回帰線」を手に取ったものの、わずか数ページで挫折。

今のところ(おそらくこれからも)、彼の小説には縁がありません。

けれどミラーが残したのは小説のみにあらず。

作家活動の傍ら、膨大な数の水彩画、版画を残しています。

だから私にとってミラーといえば、

画面の上で光が跳ねているような、あの純粋無垢な水彩画と、

アナイス・ニンの日記に出てくるパリ時代の彼。

そうして「ふたたび愛する」という、「描く」ことの実に美しい定義。


さて、ミラーに倣い、ここ最近、いつになくコツコツと「ふたたび愛して」おります。

一昨年からはじめた「海の生き物シリーズ」

最初はちょっとしたお遊びのつもりで…。

海の生き物たちを主人公に自らエロティックなお話をつくり、

挿絵をつけてみたのが、そもそものはじまり。

当時、遠距離恋愛中だった夫(その頃は恋人)が、僕も読みたいといい、

ならばと、つたないフランス語でどうにか形だけ訳し、送って見せた。

お話を気に入ってくれた夫に

「そうだ、あなたも書いてみてよ。私が絵をつけるから」と提案。

「お話なんて書いたことないよ、ましてやエロティックなストーリーなんて

僕の柄じゃない…」

渋る夫に、いいじゃないの、どうせ遊びよ…と畳みかけ、書かせてみるとー

そこにはなんと美しい世界が広がっていたことか…!!

ピュアできめ細やかな精神の持ち主だということは、よくわかっていたつもりでしたが、

この人のうちにこんなに色鮮やかで詩的な世界が眠っていたのかと私は目を瞠りました。

ちょっと持ち上げすぎ??(笑)

思わぬところで宝物を見つけたような…

ひとの深い深い胸のうちに思いがけず招かれたような…

メールに添付された原稿を、辞書を引き引き読んだ、あの時の胸の高鳴り。

少しずつ少しずつ、言葉と言葉がつながって、やがて美しい物語が姿を現すー

それは夜空にじっと目を凝らし、星々の間に隠された絵を見出すときの、

あのときめきと興奮によく似ていました。

おかげで私はきれいさっぱり筆を折り、それからは挿絵に専念(笑)

遠く離れている恋人とそれでも共同で何かを生み出せることがうれしくて、

あの頃ふたりで作り上げた挿絵付きのお話が6つ7つ。

夫の描き出す世界は時にしんと静かで美しい哀しみに満ちていたり、

あるいは軽やかなユーモアが散りばめられていたり…と、

今読んでもやっぱり好き、なのです。

また書いてほしいなぁ~!


「絵」はごく幼い頃から、私にとってずっと身近な楽しみのひとつです。

ただ、がむしゃらに描いた経験というのはほとんどなくて、

40余年の我が人生、描いたり描かなかったりでいえば、

「描いてない」時期の方がずっと長かったりします。

ミラーの言葉に出会ったのは高校生の頃なのに、

私の愛は随分と長いこと、あっちに行ったりこっちに来たり、

あらぬ方向を彷徨ってばかりいました。

そうして今、ようやくきちんと絵に向かい合っている。

真っ白な画面の上、私なりに「ふたたび愛する」ことの意味を問うている。

そう思います。

今日、この充足に私を導いてくれたのは、

紛れもなく、夫とふたり、せっせと拵えた海の生き物たちの秘め事、

物語を紡ぐあのよろこびです。

同時に渡仏という人生の一大転機が、強く私を後押ししてくれたのも事実です。

この場所で自分はどう生きていきたいのかと問うたとき、

一度くらい、もっと誠実に描いてみよう、「描く」という行為を通して、

もう一度、私なりに人生を愛し直してみよう、そう思うようになりました。

今はお話なしで単純に海の生き物をテーマに描いていますが、

やっぱりどこかに「物語」が匂う絵になっていたらいいな、

また夫とコラボ作品もつくりたいな、

そう思いながらコツコツ描いています。

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