何にもしない幸福
土曜日、8時30分。
週末、久々に早起きした。
一緒に暮らしはじめて早一年。
夫のローランとは今のところすこぶる相性が良く、結果、ついつい家にこもりがち…。
パリと神戸で遠距離恋愛をしていた頃は
一緒に暮らしたらあれしよう、これもしよう…とSkype画面越しにふたり、
ただれるような視線で見つめ合い、話していたくせに、
実際にはほぼ引きこもり状態の私たち。
ただただ一緒にいることが心地よく、何をするでもなく隣り合って過ごすうち、
あっという間に日が暮れるーこともしばしば。
なんにもしなくたって充分楽しいよ、ね?ーとうなずきつつ、
あまりに自堕落な週末が何週か続くと、さすがに誰に対するでもない、
後ろめたさみたいなものが腰のあたりにぞわぞわと湧いてくる。
そうしてようよう、どちらからともなく、
「たまにはしっかり予定を入れて、週末らしい週末を過ごそう!」
と声高らかに宣言、あたたかな魅惑のベッドをしぶしぶ抜け出す。
一度外出すれば、やっぱり世の中には家の中では味わえない、
それぞれに面白いことがちらほら転がっていて、多少なりとも刺激も受けるし、
何より「今週末は外出した」という満足感が得られる。
この満足感で来週はまた、安心してたらたらと過ごすことができるのだ…。
というわけで、今週はその「パジャマを捨てよ、町へ出よう」週間だった。
「銀行で用事を済ませ、その後買い物して、午後には美術館に行こう…!」
と、朝も早よからそそくさと家を出た。
針みたいな霧雨に包まれて、街は静か。新鮮な朝の匂い。
たまには週末の早起きもいいもんだなぁ。
銀行帰りにパン屋に寄り、クロワッサンとパン・オ・ショコラを購入。
帰宅してコーヒーを淹れ、音楽をかけ、やっと一息ついたところでローランがいう。
「(銀行の担当の)マダム、ちょっと気まずかっただろうね…」
え、何が?と問うと、気づかなかった?とローラン。
「書類を渡してくれた時にね、…その何というか、ヘアーが、
しかもアンダーの方が書類にのっかってて、
瞬間ぴしゃり!と書類を手で覆い隠したの、見てなかった?」
全然気づかなかったわ~と大笑い。そりゃあ気まずい…!
むかし、辺見庸さんの短編にそんなシーンを読んだな、とぼんやり思い出す。
朝ごはんを終え、ついついゆるむ気持ちに鞭打ちながら、今度は近くの中華街へ買い出し。
あっという間に「パリの匂い」がかき消され、アジアの熱気、むんむん。
エキゾチックな食材に紛れ、今回はなんと!小ぶりのタケノコを発見!
ちょっと早くないかい?と思いつつ、胸躍らせてもちろん購入。
帰り着くころには雨脚が強まり、ふたたび出かける意欲がすっかりそがれる。
ああ、美術館!今日のメインだったのにーと嘆きつつも、
目当ての展示があったわけじゃなし、美術館は消えてなくならない、
来週でいいよねー?と、ふたり目くばせ。
「ああ~、せっかく早起きして朝から動いてたのに。3時間しか持たなかったね!」
まぁまぁいいじゃないの、私たちにしては上出来よ、と紅茶を淹れる。
美術館行きがなくなったので、タケノコの下処理。
米ぬかはないので代わりにお米を数粒入れて、ぐつぐつと気長に湯がく。
あっという間に家中がほのかに甘い香りに包まれ、なんとも幸福な気分。
「ちょっとトウモロコシの匂いに似てるねぇ」と、ローラン。
そうねぇ、しかし去年はタケノコなんて見かけたかしら…?と思い、ふと気づく。
いやいや一年前といえば、まだこちらに着いて早々じゃないか。
各種手続き、その後フランス語コースに通い始めたりで、
去年の今頃は何となくバタバタしてたなー。
中華街に通うようになったのは、そのもう少しあとだ…。
そうか~、まだ一年かあ…。本当だねぇ、ローランも笑う。
ふたり暮らしがあんまり自然なもんだから、
ついついもう何年もこうして一緒にいるような気がするけれど、
「ようやく一年、まだまだ一年」なんだ。
やさしい雨音、タケノコの甘い香りに包まれて、
この日は結局それぞれに絵を描いて過ごした。
夕方、少し早めのアペリティフを楽しんだあと、夜、湯がいたタケノコをつかって二品。
厚めに切ったタケノコは豚肉、絹さやと一緒に炒め煮、
薄切りをわかめと辛子酢味噌和え。
しゃきしゃきした歯ごたえ、やわらかな甘み。
あれはどの絵本だったか。
愛すべきアーノルド・ローベルの絵本の中に確か、
不意にもたらされた時間を「どう過ごすのか?」についてのお話があったように思う。
「何にもしないよ。」
何もしない幸福。
ふたりともちょっと早い春の香りを堪能して、何でもない土曜日を終えた。
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