お母さんのこと
2週間ほど南仏のローラン父宅にいってきました。
からだは元気だけれどすでに78歳のお父さん。
今回も家につくなり、今は亡きローラン母の写真をわたしに見せてきました。
「彼女が生きていた頃はね、庭には花がいっぱいで…。
この家はひとり暮らしには広すぎるよ。
ああ、どんなにきれいだったか…、これがローランの母さんだよ。」
写真の中の美しい彼女は永遠に40代のまま。
お父さんのさびしさが胸に痛い。
わたしが最初からローランに強く惹かれた理由のひとつに、
やはりお母さんの写真があるような気がします。
2年前、Paris旅でローランに出会ったとき、見せてもらった古い家族写真。
ちいさなローランの学級写真、遠景の家族旅行、
ローランが生まれるずっと前の、時代がかった先祖の写真…。
「こっちは最後の頃の母…」
手渡された封筒に戸惑うわたしに、なぜか「ミオには見る権利があるから…」
あの日、つい2日前に出会ったばかりで、
この人といつか結婚することになるなんて、ふたりとも夢にも思わなかったはずなのに。
躊躇いながら封筒を開くと…、
思いをじっと胸に秘めたような、内省的な眼差しの美しい女性、
晩年、闘病中のお母さんが静かにこちらを見つめていました。
胸の奥深くしまい込まれた物語―とでもいえばいいのでしょうか。
澄んだその目はたくさんの思いを湛え、そっと語りかけてくるようで、
わたしはいっぺんに写真の中のその人に惹かれました。
かつてフランス領だったアフリカ・モーリシャス諸島で
現地人の母とフランス人の父との間に生まれたお母さん、L。
やがて大人になったLは友人の紹介でフランス人男性と文通をはじめます。
ローラン父です。
1年間のやり取りのあと、Lはフランスに渡り、のちに彼と結婚。
そうしてローランが生まれました。
「母さんは勉強する機会に恵まれなかった。でもとても頭のいい人だったよ」
凛とした佇まいがその聡明さを物語っています。
わたしと違うタイプなのは明らかなのですが、
もし出会っていたら、きっと深く理解し合えたに違いない―。
はじめて写真を見せられた時からなぜか強く、そう感じずにはいられませんでした。
今思い返しても、お母さんのあの写真が、あの深い眼差しが、
その時はまだ自分でも気づいていないローランへの思いをしっかり肯定し、
後押ししていたように思うのです。
今、夫となったローランはいいます。
「もし母さんが生きてたら…、絶対にミオのこと、大好きだったと思う」
わたしもお母さんのこと、大好きだったと思う。
もし出会っていたら、たくさんのことを話していたと思う。
ううん多分、語り合う以前に胸から胸へ伝わるものがたくさんあっただろう、そう思う。
滞在中、わたしの手料理を美味しい美味しいと食べてくれたお父さん。
よかったら持って行きなさい、
帰り際、お母さんが使っていた料理本を数冊手渡されました。
その中には、お母さん手書きのレシピ帳が一冊。
ページをめくると、
ちいさかったローランの拙い「おりょうり」という文字とコックさんの絵。
「小麦粉250g、バター100g…」
丁寧に綴られた文字を見つめている内に、
会ったことのないお母さんの大切な時間に触れた気がして、涙がこぼれました。
会ってみたかったな、お母さん。
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