拷問と信頼、あるお喋り女の末路

 日本人の友人と長電話した。べらべら喋って夜も更けた頃、

「あ、そろそろ夫がしびれ切らしてるわ。またね!」

 気がつけば2時間しゃべり続けていた。我が家は我が家でわたしの話し声、笑い声がうるさかったらしく、恐竜のドキュメンタリーを見ていたローランが途中でこっそり部屋のドアを閉めに来た。

 やっぱり日本語だとフランス語の少なくとも1.5倍速くらいで話せるし、途中知らないことばに躓くこともない。縦横無尽に走り続けるイメージ、アイディア、それらをひとつ余さず拾い上げ、膨らませるに充分なボキャブラリー、加えて同じ文化で育ったものだけが共有できる記号的笑いなどに裏打ちされて、我知らずますますおしゃべりに拍車がかかる。

「フランス語でもおしゃべりだけど、日本語になるとミオすごいね…」

 電話を切ってサロンにもどるとローランが苦笑いしていった。

 わたしが自分のおしゃべりを自覚したのは17歳の頃。幼少期のわたしは強固にそびえ立つコンプレックスの壁、そこから今にもあふれ出しそうな自我の海、いえ、あくたの川にあっぷあっぷするのに精いっぱい、唇はいつもことば少なにきゅっと結ばれたままだった。頭の中では絶えずあらたな考えが産声を上げ、熾烈な細胞分裂を繰り返していたが、当時のわたしにとって発言は多大なプレッシャーを伴う、骨の折れる行為でしかなかった。ところがこの世のルールとして、発声されるなり、書き記されるなり、ことばとして表明されない以上、あらゆる意見はなかったものとしてかき消される。成長するにつれ、ますます大音量で鳴り響くようになる内なる声、翻って閉ざされたままの我が貧しき唇。そのアンバランスさにいよいよ耐えきれなくなって、12歳でわたしは決意した。絶対に大事だと思うこと、いいにくいことからまず、きちんとことばにしていこう。それが果たして名案だったのか、うまく機能していたのかどうかはわからない。それでも教師に対して、学校に対して、あるいは〈みなと同じであること〉を強要してくる一部同級生たちに対して、自分のNOを突きつけるところから、つまり、幼いなりの反抗精神から、わたしのおしゃべりの歴史は始まった。一歩を踏み出せば、あとは流れるように簡単だった。気がつけばそれがどんな話題であれ、関心がある限り、わたしは自分なりのことばを手にしていた。そうして17歳、夜を徹して好きな映画、今読んでいる本について語り続けるわたしに、久しぶりに会ったお兄さんはため息とも感心ともつかぬ口調で、こういったのである。

「相変わらずの、おしゃべりだねぇ」

 え? 知らなかった。わたしっておしゃべりなんだ…。あの夜から30年…!

 電話の向こうの友人が話の途中、「わたしも大概おしゃべりだけど、話量ではミオさんにかなわない」といい、不意に思い出したのが遠い日の京都、町屋宿泊所の夜。関東から来たという、一見控えめながら一癖ありそうな女子が〈ある人を信頼するに値するか否かを見極めるわたしなりのポイント〉として、こういい募った。

「もしも拷問にかけられたら、この人はすぐに口を割るか割らないか」

 思わず吹き出したわたしは、ああ駄目だ…わたしは信頼に値しない人間!!と、熟考するまでもなく降参した。

 電話の向こうで笑う友人に

「あなたはそこそこ拷問にも耐えられそう。少なくともわたしよりは…」

 というと、

「そりゃ大概の人はあなたよりかは耐えられるでしょ? あなたはあれだ、かつ丼行き着かないやつ。かつ丼ちらつかせるまでもなく、自ら喋りだすやつよ」

 保身のためにいっておくと、わたしは痛みにめっぽう弱い。痛みそのものは無論のこと、そもそも〈痛み〉という概念にすごく弱い。どのくらい弱いかというと、実際の身体的苦痛に行き着く前に、想像妊娠ならぬ事前の〈想像苦痛〉で怯え委縮し、すっかり消耗してしまう。したがって、いざ身体的苦痛を味わう段階になると、思ったほど痛くはなかったな…と、いささか気抜けするくらい。世間的にかなり〈痛い〉とされる検査を受けたこともあれば、ほんものの危篤状態に陥ったこともあるが、それらの場合もやっぱり同じだった。つまり実際の痛み、辛さに弱いのに加え、過剰に想像をあおりすぎる。そんなわけで拷問に関していうなら、拷問のゴの字をちらつかされた時点で、申し訳ないけれどすぐに口を割る可能性が極めて高い。友よ、ごめん…。

 とはいえ、そんなわたしが一分でも長く口を閉じる可能性ってなんだろう。唯一、多少なりとも効果アリと思われるのが〈反抗精神〉だ。こいつらには意地でも口を割ってたまるか!という、一定量の反抗精神が保てれば、こんなわたしでも一分…いや二分くらいは拷問に耐えられるかもしれない。けれど…と、そこでわたしは涙ぐむ。沈黙を持って誇りを貫くほど、気高いタイプじゃないよね、わたし…? 磔にかけられると同時に、思春期止まりのわたしの脆い反抗精神は、ここぞとばかり相手を挑発するようなセリフをわめき散らすだろう…。かくして拷問は当初の予定以上のスピードで凄惨を極め、わたしは惨めったらしく、いともあっさりと口を割る…。要はどっちに転んでも、たぶん黙っていられない。これが46年生きてきたわたしの背中…。ああ、情けない。

 というわけで、今更ながら、ごく少数のひとが呼んでくださっているこのブログも然り。あっちにいったり、こっちに来たり、とりとめもなく、時にうんざりするほど饒舌な、ただのおしゃべり記録なのでした。そんなのとっくに気づいてる?

追記

先日久しぶりに「すごく好き!!」な短編を読んだ。無駄のない文章が濃密なディティールを描き出し、その中のいくつかのセンテンス、シーンにほれぼれとして、読み終わったそばから続けて2回、3回と読んだ。ローランに「そんなに続けざまに読むもんじゃないよ」とたしなめられつつも、読み返さずにいられない。贅沢。




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