日曜日のひとりごと

しばらく前から取り掛かっている作品も、まもなく仕上げの段階に入る。

作品といっていいのかどうか…このひと月あまり、いろんなことがあって

どうしても書きとどめておきたいことをなんとか形にしようと、

わたしにしては珍しくわき目もふらず頑張っている。

描きながら手ごたえを感じ、楽しくなって「ありがとう」とつぶやけば、

とうとう作品終わりの現実的なシーンに描き進み、途端に描くのがつらくなる

やっぱり涙が出た。


あれは何の記事だったのか

昨夜ネットを徘徊していたら、日本の地方都市の写真に行き着いて、

思いがけず強く胸揺さぶられた。

富山県、海辺の町の何でもない夕暮れ。

富山には行ったことがないし、特に興味があったわけでもないけれど、

その〈何でもない地方の町の夕暮れ〉はすぐさま〈何でもない母国の日常〉に変換されて

まっすぐにわたしの胸に飛び込んできた

さっと目に留まっただけで、

赤、黄色やオレンジ、ちぎれたリボンみたいに絡み合う夕焼けの色味

湿度を含んだ海風、うねるような路地

民家の窓からこぼれてくる台所の音

お出汁とお醤油の匂い

遅々としか進まない時間の流れ、変わらない生活

閉塞感と憧れ、引き伸ばされた夢と慣れ親しんだ日常…

いろんなものが一緒くたに皮膚の下、ふつふつと煮立ち

やわらかな湯気をあげて

理由もないのに泣き出したくなった


フランスの地方を歩いても、こんな気分にはならない

そこにあるのはいまだ旅人の甘酸っぱいノスタルジーだけ

だけどあと数十年、この地で暮らしたら…?

記憶のもっとずっと向こう、〈無意識〉に刻まれるくらい長く深く

この地での日常を重ねっていったら。

やっぱり町をひとを、ひとつひとつの屋根の下、延々と繰り広げられる人間ドラマを

生活者の実感を持って、しみじみ味わうようになるのだろうか。


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