幸運の女神はサディストだった

しばらく前から上階に住む隣人の騒音に悩まされている。

音量を下げるよう、何度頼んでもひと言の謝罪もない。最近はそれでも一時的にちょっと下げてくれるようになったが、収まったか…と思えば、夜中の二時に突然大音量で We are the champoin!が鳴り響く…といった具合で、いい加減、ローランもわたしもうんざりしている。先日、夜の十時あたりか、またもやガンガンうるさかったので「今日はわたしが行く!」とベルを鳴らすと、件の男がすごい剣幕で怒鳴りだした。

「いいか、俺は週に5日働いてるんだぞ!週末くらい、人生を楽しませろ!!」

「パリの賑やかな地区に住んでて、これっぽっちの騒音も我慢ならないなんて、おかしいだろ!!気に入らないなら田舎にでも引っ越せ!!」

などなど、まったく話にならない。罵声を聞きつけたローランがすぐにやって来たが、男の剣幕は収まらず、

「お前らいつからここに住んでる!?」

「十五年前からだけど?」

「嘘つけ!!二年前まであそこには俺のダチが住んでたんだよ!いいか、俺は美容師で週五日…」

散々怒鳴らせた後で同居している彼女が現れ、彼を部屋の奥に押しやり、一応は冷静に話を聞いてくれたが、この彼女だって、基本は当てにならない。その時は半ば放心して見ていたが、家に帰ってしばらくすると涙がこぼれた。あんなに怒鳴る人間、はじめて見たわ。翌日も気分はさえず、昨夜の罵倒が頭の中でぐるぐる鳴り響く。作りかけのペーパーマッシュに手を伸ばすが、うまく集中できない。恥ずかしながら、件の隣人の名前をググってみた。すぐにフォトグラファー兼ヘアスタイリストとして、彼のインスタがヒットした。パリの街並み、バカンス先の海辺。仲間たちと戯れるイケてる写真…。VIVA !! SNSという虚構!
そのうち、悶々とすること自体いやになって「もしこれが、すごい幸運のはじまりだったら…?」とやけくそで自問すると、ちょっと気持ちがほぐれた。

その日の夜、日本の友人とチャットして経緯を話すと

「幸運の女神ってもしかしたら、ちょっとSッ気強いのかもね?」途端に笑い話になった。

ぬいぐるみ作家のこの友人は友人で、自宅の庭に突如集団で移り住んできた猫一家をケアしようと孤軍奮闘している。彼らが寒い思いをしないようにとねぐらを拵えてやり、避妊手術代から餌代と馬鹿にならない出費を稼ぎ出すため、昼夜ぬいぐるみ制作に精を出す。ところが近所のいじわるおばさんに目をつけられ、「猫盗り女」とののしられるありさま…。

「そうだね、この手荒な悪戯がS女神なりのジョークだと気づけたら、一面クリア!次のステップに進めます!!そう考えるとなんてこと、ないわー!!」

「確かに…!」

「そのおばさんだって、ホントはギャーギャーうるさい虫なんだよ。あらまあ、また騒いでらっしゃのね? ごきげんよう…くらい返せるようになったら、おばさん、途端にカメムシにでもなっちゃうかもよ?」

「それいい!だけど、カメムシはカメムシで可愛いとこあるから…生きもの以外のなにかで想像してみる」

この辺がこの友人の「人間歴浅し…!」と思わせるゆえんである。動物たちと不思議なシンパシーを持ち、心根がやさしい。その分、人間界では苦労する。長らく自然界で転生を繰り返してきたため、人間界の世知辛さに不慣れなのだ。(そんな勝手な妄想を呼び起こすくらい、ちょっと人間離れした側面がある。わたしには他にも、人間としての人生はこれが最後で、来世は精霊にでもなって人間のサポート役に回るんじゃないかと思わせる友達もいて、彼女には常々これが人間界最後だからね!といらぬ忠告をしている。)

「じゃあさ、カメムシじゃなくて消しゴムのカスなんてどう?消しカス相手に傷つく人なんていないからね!」

「わかった!!それいい!!消しゴムのカスにする!!」

日が変わり、友人が最近知ったという某歌手のことを話してくれた。瞬く間に人気が出て、年末には紅白初出場を果たしたという彼が、昨年の今頃はなにをしていたか?と聞かれ、「酔っぱらって殴られて、路上に座ってました…!」と答えたという。

「彼もやっぱりS女神のジョークを出し抜いたってこと!?」

「そうかもね!!」

笑っているうちにふたりとも、そもそものもやもやを忘れ、気分は上々、まあ今日もがんばるか!!と明るい気分を取り戻した。

日ごろから妄想族を指摘されて止まないわたしであるが、鋏と妄想は使いよう。

うまく手なずけ正しく使って、S女神の先行くことが大事だな、と思わされた一日だった。





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