時は過ぎていく―
例えば―
その日、その時、お台所にある材料でささっと とびきりの一品をつくるようなこと。
派手な一皿でないけれど、こころもお腹もしっかり満たしていくような。
じゃがいもに茄子、鶏肉、ヨーグルト、ポロネギ…それから、それから。
〈今、手元にあるもの〉をしっかり見つめて、
〈あ、あれ食べよう!〉の閃きをきちんと捕まえ、さぁ On y va !
エプロンつかんでオーブンに火を入れる。
今日持てるものを惜しみなく気前よく、きれいさっぱり使い切る。
明日は明日の風が吹く。
あれをつくりたいけど、コレとソレが足りなくて―とか、
そもそも食欲ないし、なに食べたいのかすらわかんない―などと、
ぐずぐずこぼすようなことはせず
(食べたくなくても食べてみよう、生きてゆくのだから!)
ただ まっすぐに機嫌よく、
〈本日最高のあり合わせ〉をつくらんと しゅくしゅくと野菜をきざむ―
そんな人間にわたしはなりたい…のです。
なんとも下手な比喩でございます。ふふふ。
摂取するエネルギーと消費するエネルギー、その理想的なバランスというのがあるでしょう? 男女差や年齢ではじき出された数字は目安にはなるけれど、本当は一人ひとりに、その人だけの絶対的な数値、バランスというのが存在するはず。そうして、この〈摂取量〉と〈運動量〉は、そのまま〈思い〉と〈行動〉に置き換えられるのじゃないかしら。どんな〈思い〉をどれくらい摂取して、どんな〈行動〉にどれだけ移したか―。そのバランスがうまく保たれている時、私たちは生きていることに清々しさを感じ、満ち足りるのだと思う。与えられるもの、受け取るもの。自ら動かし、動いてゆくこと。摂取するばかりでも、消費するばかりでもダメなのね。
あぁ…、消費量が足りないのです、私の場合。
与えられるものの、降り注ぐものの豊かさに比べ、それらを動かし、形にしていいく行動量が足りていない。きちんきちんと消費していかなくちゃ。
眠ってる間にも、時は過ぎていってしまうのだから。
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